ドイツワイン物語

酒神・ディオニソス(バッカス)

2019/05/10

神とは、神という絶対的な存在があるわけではなく、神とそれを信じる人々との相対関係であるという説を受けて、広辞苑の『神』の定義を覗いてみますと、第一義に「人間を超越した威力を持つかくれた存在。人知を以ってはかることのできない能力を持ち、人類に禍福を降すと考えられる威霊。人間が畏怖しまた信仰の対象とするもの」、第二義に「日本の神話に登場する人格神」、第三義に「最高の支配者」、第四義に「神社などに奉祀される霊」、第五義に「人間に危害を及ぼし怖れられているもの」第六義に「キリスト教で、宇宙を創造して歴史を司る全知全能の絶対者」などと広範囲に及んでいることが分り、日本人が八百万(やおよろず)の神を祀っていることも宣なるかなと思う反面、信仰の民族意識の融通無碍というのか、無節制というのかその判断に迷うところです。

さて、神とそれを信じる人々の相対関係が築かれた一つの例として、人類が手に入れたワインの神としてディオニソスを信仰した、興味深い物語がギリシャ神話に遺されています。

ディオニソスは、ギリシャ神話の主神・ゼウスと愛人デバイの王女・セメレを両親として生を受けていますが、その出生は異常なもので、主人の子を宿したことを知った正妻ヘラが嫉妬して、セメレの乳母に「ゼウスが人間の姿を借りて逢引しているが、本当は美男の青年だから、真の姿を見せて欲しい」とセメレに言わせるように仕向け、その言を信じたセメレが尋ねると、ゼウスは止む無く本来の姿に戻るが、その時、手にした雷の閃光赫々たる火焔がセメレを焼き殺してしまったのです。ゼウスは直ちに腹の中の胎児を助け出して自分の腿に縫い込み、やがて月満ちるのを待って産み落とすという、異常な運命を背負ってディオニソスは生まれたのです。

ディオニソスは長じるにつれ勇猛果敢な神となり、東洋をあまねく巡遊し一滴の血も流さないでインドを征服し、葡萄の栽培や養蜂の技術を教え万民に豊作を齎し大恩を与える一方、娶ったアリアドネ姫を平気で棄て、自分に反対する者には容赦なく厳罰を持ってのぞみ、残虐非道の振る舞いをする善悪の性格を合わせ持っていたのです。

一方、ワインの生い立ちは、山野を駆け巡り採集狩猟の生活を送っていた原始人が、果汁の豊富な野生の葡萄果実を口に含んで果汁を味わい、吐き捨てた果皮が窪みに溜まり芳香を放つのを見て、果実を押し潰して放置する術を学び、やがて定着して農耕生活に入ると、葡萄の栽培と足踏みによる搾汁、更に搾汁器の発明と計画的に造るようになり、果実が苛酷な重圧の下で一度は死滅の危機に見舞われながら、迸る鮮血に似た果汁が芳香を放ち、新しい生命として生まれ変わる現象を、ディオニソスの出生時の再生復活の神話に重ね、更に、その味香と痺れる快楽感と栄養価と薬理効果で「命の水」と珍重する一方、飲み過ぎによる不快感、狂乱状態、健康悪化などの相反する善悪の二面性を、ディオニソスの性格と重ね合わせ、ワインとの相対関係が生まれたのです。

この信仰はローマ神話に引き継がれ、酒神・バッカスとなり、潰された葡萄から迸り出た赤い果汁が、最後の晩餐会でキリストの血として飲まれた赤ワインとなり、キリストの復活神話になったと考えられているのです。

ローマを経てワイン大国になった国々は、ドイツを含めてこのディオニソス信仰を引き継ぎ、ワインの二面性をわきまえ身を律して愛飲しているのです。

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