ドイツワイン物語

ワインの誕生と遍歴

2019/03/23

地球上の人類の種族を大きく分けると、コーカソイド(白色人種群)、モンゴロイド(モンゴル人種群)、ネグロイド(黒色人種群)で、現在はユーラシア、アフリカ、オーストラリア、南北アメリカ、南極などの大陸に混在し、その歴史を解明する方法として、遺跡発掘などの出土品から判定することがあります。

この方法によって、ユーラシア大陸に分布したコーカソイドと、モンゴロイドの原始時代の文化・文明が明らかにされていますが、ワインの誕生もその一つで、1969年に西アジア(中近東)のシリアの首都ダマスカスの近郊の遺跡から出土した、壺とその中に残っていた葡萄の種から紀元前約6000年頃ではないかとされているのです。

しかし、それが自然発生的に存在した物か、人の手によって造られた物か、果たしてアルコール飲料だったのかなど、有史以前の原始人との関わりは曖昧模糊としていて、考古学だけではワインの誕生を確定することはきないのです。

漸く、紀元前2300年頃シュメール人の遺した文献に載っている「葡萄栽培」の記述から、人間が栽培した葡萄からワインが造られていたことが明らかにされ、シュメール文化圏の西アジア一帯に及んでいたことが分ったのです。

やがて、紀元前800年代なると、地中海沿岸諸国を植民地化したギリシャが、エーゲ海、地中海沿岸と、国力の衰えたシュメールに君臨するようになると、経済力に恵まれたギリシャ人は生産的な労働は総べて奴隷に任せ、市民権を持つ人々はグラス片手に政治・芸術を論じ、夜になると趣味仲間との酒宴を開きワインを楽しむといった日常を過ごしていたのです。

こうして、ギリシャ人によって育くまれワイン文化は、他の文化・文明と共に、支配下に収めたエーゲ海、地中海沿岸の南西ヨーロッパ一帯に広く拡がっていったのです。

その後、紀元前7世紀頃イタリアに勃興したローマ帝国が、全ヨーロッパを制圧する時代に入ると、覇権を競って戦いに明け暮れるローマ軍にとってのワインは兵士の士気を鼓舞する爲の飲料、傷の消毒に使う実用品となり、侵攻した土地の駐屯兵に必要なワインを確保するために、土着民にワイン造りを教え、西ヨーロッパ地方全域にワイン文化を拡げていったのです。

この時、ドイツでもローマ軍の北方侵攻の拠点となったモーゼル・トリアで、土着のケルト人の手によって初めてワインが造られるようになったのです。

やがて、北方からゲルマン民族の移動が始まり、王国が乱立した時代になった紀元800年頃に、西ローマ帝国の皇帝となったフランク王国の、別名ワイン大帝と呼ばれるカールは、王侯貴族・修道院を巻き込んで技術革新を果たし、ワイン文化のルネッサンスを成し遂げたのです。

カールの没後、王国は現在のワイン大国・イタリア、フランス、ドイツの基になった三つの王国に分割され、その後、スペイン、ポルトガルが加わり、ヨーロッパが世界最大のワイン生産地となったのです。

ところが、19世紀後半、品種改良の爲アメリカから移入した苗木に紛れ込んだ葡萄じらみ(フィロキセラ)によって、免疫力の無い西ヨーロッパの葡萄(ヴィニフェラ)が全滅するといった悲運に見舞われ、漸くアメリカ産の苗木に接ぎ木する方法の発見によって救われたという歴史があったのです。

最近は、ユーラシア大陸以外にも拡がり、温暖化が進む地球で栄枯盛衰を繰り返す生産地域を横目に、これからも終わりのない遍歴の旅を続けているのです。

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