1979年、世界をリードする先進7カ国の宰相が一堂に会する、先進国首脳会議(サミット)が、大平首相の下で初めて日本で行われました。
この会議は、1975年、2年前に襲った第一次石油危機によって、問題を抱えた国際経済を立て直すため、第2次世界大戦を敵味方に分かれて死力を尽くして戦った、アメリカ、イギリス、フランス、などの連合国側と、日本、ドイツ、イタリアの枢軸国側の首脳によって会議が持たれ、その後、カナダが加わり、毎年、持ち回りで開催する国際会議となったのです。日本で初めて開かれた会議は、再び世界を襲った第二次石油危機に伴う「エネルギー問題」が主題となり、そのことを伝える新聞記事は、余談として皇居豊明殿での晩餐会に触れて「七色の音楽、お酒も七色」という見出しで読者の興味をくすぐる情景を詳細に載せています。
メドレーで演奏された音楽は、ひばり(加)、アヴィニヨンの橋の上で(仏)、ローレライ(独)、フニクリ・フニクラ(伊)、浜辺の歌(日)、グリーン・スリーブ(英)、ケンタッキーの我が家(米)で、出された飲物は日本酒(日)、白ワイン・1977年シャルツホーフベルガー・カビネット(独)、赤ワイン・1970年シャトー・ラフィット・ロートシルド(仏)、ジントニック・ゴードン(英)、ベルモット・チンザノ・ドライ(伊)、ウイスキー・カナデアン・ドライ(加)、ウイスキー・ジャックダニエル・ブラック(米)と、それぞれの国柄を表すのに相応しい歌、酒が選ばれて、初めてサミットを開いた日本がホスト国として、参加国に配慮した苦労の跡が感じられます。しかし、提供された飲物は、各国が特定の銘柄だったのに対して、日本酒の銘柄だけは特定されず、ここにも日本酒業界に配慮したことが見て取れます。
さて、当時この新聞記事を読んだドイツワイン・ファンの間では、シャルツホーフベルガーを、誰がどのような理由でドイツを代表する酒として選んだのだろうかと、その選定の是非を廻ってさまざまな議論がなされたのです。
その後、晩餐会を取り仕切った宮内庁が、昭和天皇愛用の顕微鏡を輸入していたシュミット社が、銘醸ドイツワインも輸入していることを知って、同社にその推薦を依頼した事実が明らかになり、同社はファンの求めに応じて次のように選定経緯を披露したのです。「私共は、宮内庁からドイツを代表する飲物を聞かれた時に、色々と悩みました。国を代表するという意味では、ドイツにはラベルに国を象徴する鷲を冠し、ドイツワインのメッカと称され、ぶどう品種の改良、ワインの品質向上に取り組む、ヘッセン州のエルトヴィレ醸造管理所を始めとして、国営の醸造所が数多くあります。更に、民営の醸造所には、プロイセン国の最後のドイツ皇太子・フリードリッヒのシュロス・ラインハルツハウゼン城、ナポレオンの北征で居城となり、彼の失脚後、メッテルニッヒ公がオーストリア皇帝から賜ったヨハニスベルク城など、その歴史、品格、品質、地勢、技術から見て、いずれを選んでも遜色のないことを挙げて意見を交わしました。しかし、フランスの赤ワインに対して、白ワインはドイツワインが世界最高と自負する私共は、宮廷の晩餐会に相応しいドイツを代表する白ワインとして、民営でありながら、白ワインの銘柄で世界一の評価を獲得し、白ぶどう最高の品種リースリングから醸された、エゴンミュラー家のシャルツホーフベルガー・リースリングを推薦したのです」
先進国首脳会議(サミット)余話
2018/03/19